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ボディメイキングストーリー

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yoh4高校生の時に見たトムクルーズ主演の映画「TOP GUN」のビーチバレーのシーン(ジーンズに上半身裸)を見て、こんなカラダになれたら「カッコイイだろうな!!」という単純な憧れから高校二年生から近くのジムに入会し筋トレを始めました。

そしてその後、トムクルーズの様な身体になり、次に憧れたのがシルベスタスタローン主演の「ランボー」でした。そしてその後、シルベスタスタローンの様な身体になることができた私の次の目標は、アーノルドシュワルツェネッガー主演の「コマンドー」でした。アーノルドシュワルツェネッガーを目指すということは、もうそこはボディビルの世界でした。そして、大学を卒業し就職すると同時に私はボディビルの世界に入っていきました。

性格的にやると決めたら徹底的にやる性格から、96年台湾ボディビル選手権で優勝し(日本生まれですが当時は国籍が台湾なので台湾でのナショナルレベルの大会に出場)、同年台湾の代表選手としてインドのニューデリーで開催されたアジアボディビル選手権ライトヘビー級(90キロ〜95キロ)で4位を獲得することができました。当時は、筋肉が一番で、仕事が二番なので、もちろん仕事は生活するための手段として最低限の労力と時間で「こなす」という毎日でした。

20代後半に入った時、このまま筋肉やトレーニングを仕事にして選んだ際に、残念ながらその業界で得られる収入が低いということに気づきました。

確かに好きなトレーニングはできるけれども、自分が思い描くライフスタイル(住みたい家や時間の過ごし方)を得ることができなということを。
また、スキーやゴルフ等の技術系競技であればやらなくなってから何年も経っても技術はそこまで落ちませんが、肉体(見た目)が全てのボディビルにおいては筋肉が落ちてなくなれば「ただの人」という虚しさも予感しました。更には、96年に台湾チャンピオンになり、台湾代表としてアジア選手権に出場し気付いたことは西洋人には骨格と筋肉の作りから到底叶わないということです。アジアは日本から始まり韓国中国、ロシア、東南アジア、インド、そして中東諸国まで入ります。中東となるとすぐ北がヨーロッパで、どう見ても白人選手がでてきます。そして、96年のアジア選手権を最後にすっぱりリボディビル、そしてトレーニングの道を辞めました。

その後はなりたい自分のライフスタイルを得る為にビジネスの世界で生きる決心をしました。しばらくはサラリーマンとして無我夢中で与えられた仕事をしてきましたが、サラリーマンではどんなに頑張って業績を上げても収入には限界があることを認識し、2004年に人材紹介と派遣の会社を自ら立ち上げ、サラリーマンではなく経営者/事業家としての第一歩を踏み出しました。現在は、全米に4拠点を置く人材紹介・派遣会社、アンチエイジング事業、コンテストビジネスの3つの会社を経営しています。

そして、2014年の45歳の時にまた新たな転機がきました。それはベストボディジャパン、ボディメイキングとの出会いでした。2011年から始めた遺伝子テクノロジーを使ったアンチエイジング事業を通して、自分自身がアンチエイジングを本格的に始め、今は肉体年齢が30歳まで若返ることができました。身体が若返り30歳の反応ということ、そしてもともとボディビルダーだったことからボディメイキングのノウハウがあったこともあり、2014年のお正月にボディメイキングを決心しスタートしてから約3ヶ月で一気に今の身体に変えることができました。そして、その流れから知人に紹介され2014年9月に開催されたベストボディジャパン2014名古屋大会に出場しグランプリを頂き、更に年末に開催された日本大会でグランプリを頂き日本一の格好いい身体の称号を頂くことができました。

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